社長インタビュー
File No.25
株式会社いろは総建榊原 通晃michiaki sakakibara
期待に応える大工であり続ける。

人生の岐路は18のとき。
迷うことなく職人の道へ進む。
自分がサラリーマンには向いていないってことは、学生のころから重々自覚していたんですよ。
だから、18のとき、職人の道を選んだわけです。
進路を決めるのに迷いはしませんでした。
前々から物をつくることのできる仕事には興味を持っていたので。
実際にこの世界に飛び込んでみた感想? そりゃ最初のころはキツかったですよ(笑)。
とくに修業時代はかなり辛かった。ま、なんてったって“修業”ですからね、辛くなければ意味がない。

先輩方の作業を見て盗んだ、
大工として必要なスキル。
働きはじめた当初なんて、何にもできないわけですから、仕事らしい仕事はさせてもらえませんでした。
もっぱら、掃除や道具手入れの日々ですわ。
基本的に私が師事した親方は言葉で教えるタイプではなかったので、先輩方の作業を見ては盗んで、大工としての技術を身につけていきました。
当時は不満を抱くこともありましたが、今振り返ってみると、親方の教育方針には心から感謝しています。
おかげさまで、大工として“考える力”を自分の中に叩き込むことができました。

修業期間を経て地元で開業!
徹底したのは“妥協しないスタイル”
約12年間の修業期間を経て、私は晴れて地元の美浜町で独立しました。
が、バブルが崩壊した直後ということもあり、開業した当初は本当に仕事が少なくて…。
ほんと暫くの間は、知り合いの手間受けばかりやっていました。
このままじゃダメだと危機感を覚えた私は、ひとつだけ自分の中で変わることを決意。
それは何かというと「自分の意見をきちんと伝えること」でした。
私は、仕事がほしいあまり調子良く相手に合わせていた自分を撤廃し、妥協できない元来の自分自身を取り戻しました。
それからです。当店に寄せられる依頼の数がじわりじわりと増えていったのは。

生涯現場主義!
お客様の期待に応え続ける!
独立してから約10年が経ち、社名が榊原総建から『いろは総建』になって法人化するなど、私を取り巻く環境には様々な変化がありました。
その中において、ずっと変わらないのは“自分が現場主義であること”です。
利益だけの話をすれば、この方針は賢くないのかもしれません。
しかし、自分という人間を信頼してご依頼くださる、お客様の期待を裏切るようなマネを私は絶対にしたくはないんです。
だから、これからも仕事を受け過ぎることなく、自分の目の届く範囲で期待に応え続けていきたい。
これだけは譲れないこだわりです。
株式会社いろは総建榊原 通晃michiaki sakakibara
生年月日 | 1974年8月28日 |
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血液型 | O型 |
趣味 | 山車祭り・ツーリング |
知多半島の 好きなところ |
豊かな自然 |